« 2008年05月 | << BLOGトップページ | 2008年07月 »

2008年06月26日

歴史と文化のとけあう港街 - 函館(その2)

 翌日の6月22日(日)は朝から小雨の降る空模様でしたが、せっかく「はるばる」やってきた函館なので、中心部から少し離れた場所にも朝から行ってみました。

 五稜郭はヨーロッパを起源とする陵堡式の城塞で、徳川家定の命により1886年に完成しました。幕末から明治維新にかけての、佐幕派と新政府軍との最後の戦いである、函館戦争の舞台となったことはあまりにも有名です。地上からではその美しい五角形の姿は見られませんが、展望タワーに上るとよくわかります。


 新撰組副長として幕末の京都で勤皇派に恐れられた土方歳三は、転戦の末、最後は函館戦争で壮烈な戦死をとげたことで知られていますが、その銅像が展望タワーの上にありました。


 函館空港の近くにある「トラピスチヌ修道院」は、1898年にフランスから派遣されてきた8人の修道女によって創設された、日本最初の観想女子修道院です。(観想修道院とは、修道院の中だけで、祈りと観想、労働を中心とした生活を行なう修道院のこと。)
修道女達は祈りと労働にささげる敬虔な生活をおくっているため、内部に入ることはできませんが、中庭までは見学することができます。


 見学者を入り口で迎えるのは、大天使ミカエルの像です。


 その先には、見る者全てを優しく包み込むような、「慈しみの聖母マリア像」があります。


 修道院は小高い丘の上に建っていますが、中庭に向かう階段の道はとてもきれいに整備されています。


 登りきったところが修道院の中庭で、ここから先には入ることはできません。とても静かで、こちらもなんだか敬虔な気持ちにさせられます。昔はこのあたりに住宅はなく、一面に鈴蘭の花が咲く丘だったとのことです。



 トラピスチヌ修道院の修道女達は、年に1回函館市の中心をはさんで反対側にあるトラピスト修道院(男子修道院)に、農作物の収穫を分けてもらいにいくので、その時にだけは外に出ることがあるそうです。

 再び市内の元町地区に戻り、昨夜見た「旧函館区公会堂」の中に入ってみることにしました。昼間見ると、水色の壁と黄色の縁取りがはっきりとわかり、とても豪華で鮮やかな感じです。



 この建物は内部が公開されていて、2階の大広間ではコンサートなどがしばしば開かれているとのことです。皇太子時代の大正天皇が函館を行啓された折にはここに宿泊されており、御座所の間は、摂政宮時代の昭和天皇や、平成元年には天皇・皇后両陛下もご休息に使われたとのことです。


 2階のバルコニーに出てみると、函館港に係留された青函連絡船「摩周丸」の姿まで、はるかに見通せます。


 「ハリストス正教会」へも昼間の姿を見に、もう一度行ってみました。白壁にグリーンの尖塔が映え美しい姿をしています。写真撮影は禁止ですが、内部の祭壇には偶像が禁止されている正教会ならではの、イコン(絵)が描かれていました。



 函館は幕末から明治維新にかけての激動の歴史を感じさせるだけでなく、長い鎖国から開国した日本に一気に入ってきた、西欧文化の香りが今もしっかりと残っている街です。


 さて、エコブログ読者の皆様、私は6月末を以って板硝子協会を離れることになりました。これまで折に触れ、エコガラスにかぎらず、色々な話題でこのエコブログに寄稿をしてきましたが、それも今回で最後になります。

2年余りにわたって私の拙い文章にお付き合いをいただき、有り難うございました。

ecoblog060417_2.jpg

2008年06月25日

歴史と文化のとけあう港街 - 函館(その1)

 6月21日(土)に「洞爺湖サミット記念 環境総合展2008」の札幌商工会議所のブースに立会い、また、エコっ手を授業でご活用いただいている、藤女子中学・高等学校の先生にお会いして情報交換をした後、翌日が日曜日なので午後からプライベートで、まだ訪れたことのなかった函館に行ってみました。

 札幌から函館には飛行機の便がありますが、私は割安な列車を使いました。特急「北斗」で3時間半余りの旅です。そこで車中での遅いお昼ご飯は、駅弁を買うことにしました。

 売店で「何がおすすめですか?」ときいたところ、「これがお得ですよ!」といわれて思わず買ってしまったのが、「北海道洞爺湖サミット記念<おもてなし>駅弁」(1,500円)。
付属のエコバッグに入った駅弁をあけてみたら、その量にビックリ…。でも、北海道の海の幸をふんだんに使っていて美味しく、朝抜きだったこともあってペロリと平らげてしまいました。


 札幌を出発した列車は、ディーゼルエンジンの音を響かせながら、苫小牧、登別、東室蘭を経て、内浦湾沿いを走って行きます。途中で、洞爺湖の入り口となる洞爺駅を通過しました。思ったよりも小さな駅ですが、サミット参加国の国旗が飾られています。


 函館に近づくと、車窓から景勝地の大沼が見えてきました。


 そしてようやく函館駅に到着、運転手さんお疲れ様でした。



 宿泊したのは「金森赤レンガ倉庫」に近いホテルでしたので、もうすぐ日が沈む時間でしたが、外に出てみました。「金森赤レンガ倉庫」は、通称「赤レンガ」と呼ばれる港町函館の象徴で明治40年築。今でもその一部は現役の倉庫ですが、1/3ほどはレストランなどの店舗に改装されて、観光スポットになっています。


 岸壁を見るとプレジャーボートと並んで、ガラス瓶のような誘魚灯をたくさんぶらさげた、イカ釣り船が停泊していました。


 倉庫前の道を函館山のほうに向かって歩き、坂道を登っていくと、歴史的な建築物が集まる元町地区があります。「旧イギリス領事館」は大正2年(1913年)に建てられ、昭和8年まで使用されていたそうです。


 元町地区にはかつて各国の領事館があったため、プロテスタント、カトリック、ロシア正教と、キリスト教各宗派の教会が固まって存在する全国でも珍しい場所です。「カトリック元町教会」は明治9年の創建で、風見鶏のある尖塔が美しい建物です。


 立派な仏教の寺院もあります。東本願寺函館別院は、大正4年に日本ではじめてコンクリートを使って建てられたお寺で、国の重要文化財に指定されています。


 日が暮れてくると、これらの歴史的な建築物は美しくライトアップされます。ロシア正教会の「ハリストス正教会」は、1859年にロシア領事館礼拝堂として建てられたのが起源で、日本初のロシア正教会の聖堂です。建物は大正5年築で、やはり国の重要文化財に指定されています。ライトに照らされた白壁は輝くように見えます。



 元町公園の函館山側にあるのは、「旧函館区公会堂」です。明治43年築の立派な洋館で、この建物も国の重要文化財になっています。


 函館の沖は暖流と寒流がぶつかるため、夏場は霧の出ることが多いそうです。この日も頂上付近は濃霧に覆われていましたが、山頂からの夜景は北海道三大夜景といわれているのでロープウェイに乗ってみました。やはり頂上に登ると全く何も見えませんでしたが、霧に覆われているあたりまで行く間に窓から見えた夜景は、確かにきれいなものでした。


(続く)



2008年06月24日

「住宅建築の環境負荷低減研究・技術交流会」レポート

初めまして木原と申します。

6月より、師尾より引継ぎエコガラス担当となります。初仕事として6月20日(金)に札幌ドームで開かれた「北海道洞爺湖サミット記念環境総合展2008」に関連して開催されました『住宅建築の環境負荷低減研究・技術交流会(主催;北海道、於;札幌コンベンションセンター)』で発表をして参りました。

080624_1.jpg


民間11社の技術を材料、構法、設備・システムの3つに分けて約5分間の発表の後、質疑応答するものでした。私は「高断熱(エコ)ガラス」という題で発表し、エコガラスとは何か、今後のガラス技術はどうなっていくかなどをお話ししました。コーディネーターの北海道立北方建築総合研究所・福島 明部長や北海道大学・羽山 広文准教授、鈴木大隆・北総研主任研究員からのLow-Eガラスの価格やガス入り複層ガラスの耐久性についての質問にお答えしました。

080624_2.jpg
080624_3.jpg


洞爺湖サミット開催記念環境総合展2008の方は師尾さんのレポートが詳しいですが、私は札幌ドームのエコ対策を見せてくださったエコツアーに参加しました。
大量のゴミが発生するドーム球場のゴミの分別から廃棄までや地下室の空気温を利用したヒートポンプ設備など省エネルギー化された設備機器をはじめとして、普段立ち入りできないところまで見せてもらいました。

080624_4.jpg


また、日本ハムファイターズのフランチャイズ野球場でもあり、コンサドーレ札幌のサッカー場でもある札幌ドームには、閉じられるべき球技施設では珍しいガラスの回廊がぐるりと取り巻き、外周部の昼間の照明エネルギーを削減する試みもなされていました。

080624_5.jpg


環境総合展の屋外会場では、エコカーの試乗会も行われていて私はメルセデスベンツの燃料電池車に試乗することができました。酸素と水素の反応で電気を起こして走る燃料電池車に初めて乗ったのですが、結構、空気から酸素を圧縮する音が大きく聞こえていました。係の方は音は消そうと思えば消せるのですが、これが欧州流の考え方で、作動する音が聞こえないと運転者がアクセルの踏み方を調節するにも歩行者にもわからないでしょ、と言うことでした。なるほど、うるさいと思えばうるさいですが、アクセルの踏み込み音はターボチャージャーの様でした。

080624_6.jpg


これからも、よろしくお願いいたします。


2008年06月23日

エコガラス in「北海道洞爺湖サミット記念 環境総合展2008」

 6月19日(木)~21日(土)の3日間にわたり、札幌ドームで開催された「北海道洞爺湖サミット記念 環境総合展2008」で、札幌商工会議所様が住宅窓の省エネ改修の必要性を訴えるために、「エコっ手・エコボール展示ユニット」を活用してくださいました。

080623_1.JPG


 事務局が訪ねた展示会最終日は土曜日ということもあるのでしょう、会場には朝からたくさんの入場者が訪れていました。展示会には最初の2日間で約5万人が訪れたとのことですが、最終日はその勢いを上回ることでしょう。

080623_2.JPG


 札幌商工会議所のご担当の方にご挨拶し、エコっ手・エコボールは問題なく作動しているかを確認し、いつも通りの状況で一安心。6月9日(月)に板硝子協会が発行したばかりの、省エネ改修(リフォーム)促進税制のガイド「はじめての省エネリフォーム」も、「とてもわかりやすいので、是非会場で配布をしたい。」とおっしゃってくださり、ユニットと合わせてご提供させていただきました。

080623_3.JPG


 エコガラス キャンデーをつけたパンフレットを配るコンパニオンの方たちも、笑顔で元気に展示ブースの案内をしていました。

080623_4.JPG


 しばらくブース内にいて来場者のお相手をお手伝いしていると、札幌商工会議所会頭の高向 巖 北洋銀行会長が会場視察に訪れました。そこで、「板硝子協会です。この度はエコガラスの展示機材をご活用いただき有難うございます。」とご挨拶をし、エコガラスの機能についてもご説明をさせていただきました。

080623_5.JPG
080623_6.JPG
中央:高向 札幌商工会議所会頭 左:新任の木原 板硝子協会調査役


 昼過ぎには会場を後にしましたが、表に出てみると来場者の数は増すばかりの様子。帰りがけに改めて札幌ドームの敷地周辺を歩いてみてみると、緑地が公園のように整備され花がたくさん咲いていました。

080623_7.JPG
この時期に北海道で見られる白い妖精、エゾシロチョウ



2008年06月11日

雨を愛でる

今年も本格的な梅雨シーズンがやってきた。家の中がじめじめしたり、外出の予定が立たなかったり、多くの人に嫌われる季節だが、私は昔から何となくこの季節が好きだ。

「梅雨」の語源は中国にあるそうだが、江戸時代に「ばいう」として日本に伝わった呼び方が「つゆ」に変わったのには、いくつか説があるらしい。「露」からの連想だとする説や、梅の実が熟して潰れる頃という意味の「潰ゆ」に由来するという説など。いずれの説からも、昔の日本人らしい感性がしのばれる。

ecoblog080611.jpg


その時代の人々は、この特殊な時期をどのように過ごしていたのだろうか。私の好きな過ごし方は、雨の不思議な力を借りて物思いにふけったり、敢えて少しばかり気を滅入らせることだ。

雨の力・・・。晴れ晴れとした空のもとでは、とうていセンチメンタルに物思いにふける気分にはなれないが、雨には、過去のほろ苦い記憶を呼び起こしたり、普段は心のどこかにしまい込んでいることを思い出させたりする力があるように思う。きっと、その力が「雨は気が滅入る」と感じさせるのだろう。しかし、ときには素直に身をゆだねたい気持ちになるのだ。

とはいえ、1か月以上も続く梅雨シーズン、物思いにふけってばかりいるわけにもいかない。センチメンタルどころか、メランコリックな季節になってしまう・・・それはぜひ避けたい。

ある民間の調査会社の調べによると、現代の梅雨シーズンは、インターネットをしたりテレビを見たりして過ごす人が大半なのだとか。私の好きな過ごし方は、他の人の目には、少し暗く映るかもしれない(笑)。しかし、もちろん、好きなだけ考え込んだ後は気分がすっきりして、何か楽しいことをしようという明るさも積極性もいっそう出てくるのだ。

私は、この雨の季節に感謝する。長雨の力でもなければ、毎日を忙しく突っ走り、ときには振り返るべきこともしまい込んで、そのまま走り続けてしまうだろう。明るく元気に、ポジティブに生きていくためには、たまには一人静かに考えることが必要。そのチャンスを与えてくれるこの季節を、愛でずにはいられない。


2008年06月07日

沖縄 Photo Report (3) 那覇の繁華街と市民の台所

 那覇の中心部には国際通りがあります。昔はこの一帯には水田しかなかったそうですが、県庁前から始まる1km余のこの通りは、左右に観光客相手の土産物屋や飲食店が軒をつらねる、那覇一番の繁華街です。


 街路樹も南の島を感じさせるホウオウボクが使われ、真っ赤な花をつけています。



 派手な看板は大阪の道頓堀を思いださせます。


 土産物の代表は、沖縄の建物には必ずある守り神のシーサー像ですが、名陶工の作品になると100万円を超えるものもあるそうです。


 国際通りの中ほどにある市場本通りを入ると、那覇市民の胃袋を満たす様々な食材を扱う公設市場があります。



 沖縄では熱帯魚のような鮮やかな色の魚を食べる、という話を聞いたことがあったので、公設市場をのぞいてみました。するとやっぱり、本土では見たことのない魚介類がたくさん並んでいます。

 大きなイセエビやセミエビ、夜光貝もあります。


 ぐるくん、という魚はから揚げ用?


 カニも生きがよさそうです。


 どうですか、この色鮮やかな魚達。市場の2階には、買った魚を調理して食べさせる食堂があるそうです。


 ハリセンボンは獲れたばかりのものでしょうか、まだ生きているようです。


 ブタの頭! 沖縄料理の食材といえば豚肉が有名ですが、島の人は「鳴き声意外はみんな食べる」、といわれているそうです。


 カーサムーチー、というちまきのようなお菓子を売っています。これは「月桃」というショウガ科の植物の葉でもち米をくるんで蒸したものです。試食をするとほんのりと独特の香りがしました。


 月桃は沖縄の家の庭や公園でもよく見かける、きれいな花を咲かせる植物です。


 中国や東南アジア、日本の影響を受け、独自に発展した琉球王国の文化の名残は、現在も県民の日常生活の中に息づいています。



2008年06月06日

沖縄 Photo Report (2) 北部の景勝地と巨大水族館

 沖縄本島には那覇から名護まで高速道路がありますが、東シナ海に面した海岸線を通っているのが国道58号線です。宜野湾、嘉手納、と米軍基地を横に見ながら北上していくと、恩名村にある風光明媚な琉球王朝ゆかりの地、「万座毛」にたどりつきます。

 1726年にここを訪れた琉球王の尚敬が「万人を座するに足る」と言ったのが「万座毛」の由来だそうです。広い駐車場がある出入り口には土産物屋が並び、沢山の観光客集まっています。


 海岸につながる道には「アダン」という名の、パイナップルのような実をつけた木が何本も生えています。


 これが「万座毛」です。象の鼻のような形をした「象岩」、言葉の通り、万人が座ることができそうなほどに平らに広がった岩が、とても印象的な風景です。


 「万座毛」の反対側には有名なリゾート、万座ビーチホテルが見えます。


 「万座毛」からさらに国道58号線を北上していくと、名護湾を過ぎて本部町に入ります。ここにあるのが沖縄海洋博覧会の跡地にできた海洋公園です。この公園の目玉施設は、なんといっても世界最大級の「沖縄美ら海水族館」です。


 建物は4層になっていますが、その中に大きな水槽が2つあります。3階にあるのが「サンゴの海」をテーマにしたもので、中には色とりどりのきれいな魚や、おもしろい顔をした魚が泳いでいます。



 沖縄名は「ブーナー」のサザナミフグ


 沖縄名は「ヒロサー」のメガネモチノウオ、これはその頭の形から、ナポレオンフィッシュという名前でも呼ばれています。


 岩の下にはアオウミガメがいます。この沖縄名は「ミジガーミー」


 2階にある巨大な水槽が「黒潮の海」です。3匹のジンベイザメをはじめ、マンタ(オニイトマキエイ)やキハダ、カツオなどが泳いでいいます。この水槽に使われている正面のアクリルパネルは、幅22.5m、高さ8.2m、厚さは60cmもあります。前に立っている人の大きさと比べると、その巨大さがよくわかります。


 マンタが水槽の底を這うように泳いでいきます。


 ジンベイザメは側で見るとかわいい目をしています。


 これが60cmのアクリルパネルのカット模型です。何層にもわたって、厚いアクリル板が積層されているのがよくわかります。


 30分から1時間に1回、この巨大水槽を上から見ることができる15分の水上観察コースがあるのですが、運よく空きがあり参加することができました。水族館の楽屋裏を見るのは初めてです。巨大な水槽の上には、餌をやるためや観察用のデッキが設けられていました。


 まさかジンベイザメが泳ぐのを、上から見られるとは思ってもいませんでした。


 北部の最後は本部町に隣接する今帰仁村にある、世界遺産「今帰仁城跡(なきじんじょう)」です。ここは別名北山城とも呼ばれ、13世紀頃には築かれはじめたとのことです。15世紀初頭に琉球を統一した、尚巴志(しょうはし)によって滅ぼされるまでは、北山の王の居城でした。


 石組みの「平郎門」をくぐると、細い石の階段が城址へと続いています。


 上まで登って見渡すと、立派な石垣の向こうに海がよく見えます。


 本丸の跡には火の神を奉る建物があり、今も祭祀が行なわれて参拝者が訪れるとのことです。


(続く)



2008年06月05日

沖縄 Photo Report (1) 那覇市内の世界遺産

 沖縄県板硝子事業協同組合は、日本の一番南にあるガラス販売店さんの組合です。その年次総会で、エコガラスや防犯ガラスなどの、いわゆる「機能ガラス」についての講習会を依頼されて、初めて沖縄県に行ってきました。講習会は土曜の午後でしたので、午前中とその翌日、沖縄はどんなところなのか…と駆け足でみてきました。
写真をたくさん撮りましたので、私の見た沖縄をPhoto Reportにしてみます。

 那覇市内にはその起源を14世紀に遡る、琉球王国時代の遺跡が数多くあります。沖縄戦で大きな被害を受けた首里城一帯にも、2000年に「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産に指定されたもののいくつかが集まっています。「グスク」とは城を意味する言葉だそうです。

 首里城公園の入り口のすぐ側、住宅街に囲まれ静かにたたずんでいるのが、世界遺産「玉稜(たまうどぅん)」です。

080406_01.jpg


 入り口を入ると、ガジュマルに覆われた道が奥へと続いています。

080406_02.jpg


 玉稜は1501年、琉球王朝 第二尚氏の尚真王が築き、以後第二尚氏王統の陵墓となった場所です。琉球石灰岩で組まれた門をくぐると、大きな墓室が姿を現します。

080406_03.jpg


 墓室は大きく3つの部分に分かれ、真ん中は洗骨前の遺骸の安置に、東側は王と王妃、西側は王子や王女などの家族が葬られています。中には石棺があるそうですが、公開はされていません。

080406_04.jpg
080406_05.jpg

 
 玉稜から歩いてすぐの場所に、首里城公園の入り口である「守礼門」があります。現在立っているのは戦災で焼失したのを1958年に再建したものであり、世界遺産指定にはなっていませんが、創建されたのは16世紀半ばです。門に書かれた「守礼之国」とは、読んで字のごとく、礼節を重んずる国という意味です。

080406_06.jpg


 門をくぐると左に見えてくるのが、1519年創建の世界遺産「園比屋武御嶽石門」(そのひゃんうたきいしもん)です。国王が出御の際に、道中の安泰をこの石門の前で祈願したそうです。門の後ろには森が広がっているだけで、何もありません。森羅万象に祈ったということでしょう。

080406_07.jpg


 石段を登っていくと首里城内に入りますが、その第一の正門が「歓会門」です。

080406_08.jpg


 石段を登りきったところからは、立派な石垣をへだてて那覇市内がよく見渡せ、首里城が高台に位置していることがよくわかります。

080406_09.jpg


 「正殿」は首里城の中心、木造3階建てです。約500年にわたって琉球国王の居城となった、政治・外交・文化の中心です。創建は14世紀頃ですが、現在の建物は戦災で焼失したものを1992年に再建したものです。

080406_10.jpg


 「正殿」の床下には、創建時からの石の基礎が保存されており、その一部がガラス越しの床から見ることができます。この石の基礎が、世界遺産に指定されている「首里城跡」になります。

080406_11.jpg


 首里城を囲むように広がる森をぬけると住宅街になっていますが、古くからの細い道がそのまま残っています。その代表が、琉球石灰岩で敷き詰められた「金城町石畳道」です。

080406_10-1.jpg


 尚真王の時代に、首里城から南に向かう道として整備されたもので、道沿いには守り神シーサーを飾った家並みが続いています。その中には、NHKの朝の連続ドラマ「ちゅらさん」で、主人公の古波蔵一家が住む家の外観として使われた建物がありました。

080406_10-2.jpg


 首里城公園の丘を下ったところにあるのが、世界遺産「識名園」です。

080406_10-3.jpg


 1799年に造営された日本風・中国風を取り入れた、琉球独自の回遊式庭園で、御殿は王家の保養や接待に使われた場所でもあります。

080406_12.jpg


 大きな池には中国風の石橋が渡され、六角形のあずまやがあります。

080406_13.jpg


 南の島の回遊式庭園を彷彿とさせるように、大きな花をつけた蘇鉄の木がありました。

080406_14.jpg

(続く)


 

Copyright (C) 2006 板硝子協会 All Rights Reserved.

経済の基礎知識