らせん階段とともにS邸で存在感を放つのは、階段室の窓。北に面した大開口です。
南向き信仰という言葉もあるほど日本の住宅は南面が重視され、“窓は南を大きく北は小さく”がある種の定石とされてきました。
ましてここは、厳寒期にはマイナス10℃を下回る最低気温を記録する土地です。S邸の南面は国道が走るため隣接建物で陰る心配もなく、通常の窓をつければ室内の採光は十分確保できます。
冷えやすい北面になぜ大きな開口を…疑問がわきました。
しかし、そこにはいくつもの必然があったのです。
階段室の窓が面する斜面にはSさんのお父様さまが植えた桜や、自然に芽吹いたどんぐりなどの樹木が育ち、鳥たちもやってきます。冬が終われば緑があふれ、お花見まで楽しめるこの“自然の庭”の眺めを、窓を通して取り込まない手はない。長谷川さんの提案でした。
もうひとつ、「明るすぎない家がいい」という住まい手の思いへの答えでもあります。
Sさんいわく「内覧会を見て回ったら明るい家ばかりで(笑)まぶしくない、陰影のある家にしたかったんですね」北窓の設計図を見た当初は「大きくて、明るすぎるのではと少し心配でした」と振り返ります。
できてみれば「ちょうどいい明るさでまぶしくない。北の窓からの光について、新たな気づきがありました」
「ここは一日中、ブラインドもカーテンも下げません。灯りがつくと、外から見えるらせん階段がすごくきれいなんですよ」とも。
真夏でも夜は冷えるこの地で、高断熱を誇るLow-Eガラスの面目も躍如、といったところでしょう。
一方、夏には換気面のメリットもあります。
縦一直線に並ぶ4つの窓は中2枚がFIX、上下に横すべり出し窓という構成です。「両方のすべり出し窓を開けるとすごく涼しくて、エアコンがいりません」
下は地窓、上が高窓となって重力換気*が起こり、直射日光が当たらず樹木や緑で冷やされた北面の涼しい外気が、室内に効率よく取り込まれているのでしょう。
厳しい冬をにらんだ対策も怠りなく「念のため、ウインドゥラジエーター用のコンセントをつけてあります」と長谷川さん。取材に訪れた12月半ばは、多少ひんやりするものの問題ないとのことでした。
Low-Eガラスに床下暖房。信州の寒さに負けない家をつくる
計画当初の必須事項からもわかるように、“寒くない家”はこの土地で暮らす際の大きなテーマです。
S邸ではすべての開口部でLow-Eガラスを採用。屋根や壁にはプラスチック系断熱材やグラスウールを厚く入れて、建物外皮の断熱性能を高めました。
ダイニングスペースの掃き出し窓は縦横ともに2m超と大きく、この開口から差し込む日差しがリビングダイニング全体を暖め「昼間はエアコンがいりません」とSさん。ウッドデッキとつなげることで室内空間を外部に拡張する役割をも担っています。
暖房設備はエアコンやファンヒーターのほか、床下暖房のシステムが取り入れられています。
土間部分に温水を流して暖め、その輻射熱を窓際の床に切ったガラリから室内に吹き出すもので「暖かいというより“寒くない”感覚です」と長谷川さん。室温設定は20℃です。
さらにリビングと畳コーナーの境には薪ストーブが置かれ、休日など時間がある日の大きな楽しみに。「火が見えるのが、いいんですよね」
就寝時は2階寝室のドアを開け、階段室を通じてのぼってくる暖気を取り込みながら眠ります。暖房は湯たんぽのみで大丈夫。
「前の家ではマットレスと敷布の上にさらに起毛シーツを敷き、羽毛布団と毛布2枚をかけ、パネルヒーターをつけて寝ていました」というSさんの言葉に、信州の厳しい寒さが伝わるとともに“寒くない家”の実力を目の当たりにした気がしました。
12月の日中、掃き出し窓からは豊かな陽光がダイニングに射し込む。ウッドデッキ上部にある軒の出は1.2mだが、高度の低い冬の日射を妨げることはない。反対に夏場の日射は終日遮られる
ブラインドを下ろしてもらった。二重になっており、外出時には厚手の方を全部下げる。在宅時は通常、薄手の方だけ下げてプライバシーを確保
チーク材のカウンター天板があるキッチンは対面式。東を向く調理台前の窓とガラス張りの勝手口ドアの二面採光で明るい。吊戸棚上部にはエアコン設置用スペースが確保されているが「今はまだ必要ないですね」
空調その他のスイッチ類はキッチンと家事コーナーの境に集中
父祖から受け継ぐ土地で、記憶とともに新たな暮らしを
この敷地には以前、母屋と並んでお父さまが経営する鉄工所がありました。どちらも道路すれすれに建ち、地盤も現在より数十cm低くて、室内の床の高さが道路とほぼ同じレベル。部屋に座ると窓から外を見上げている感じだったといいます。
道沿いにはたくさんの樹木が立ち並び、往来の激しい国道と住まいとを隔てる緩衝帯が形成されていました。
今、古い建物を解体して新たに建ち上がった家は大きくセットバックし、基礎も上がっています。室内の視界を改善し、道路からの音と振動を遠ざけました。
外構工事はこれからで、今はファサードを彩るシンボルツリーや花壇の花々を待っている状況。育った木々に包まれ森のようだったというかつての風景からは、かなり変わりつつあるようです。
そんな中、玄関脇でポストを支える大きな鉄のプレートはお父さまが仕事で使っていた鉄板を再利用したもの。さらに鉄工所があった場所につくった駐車場の屋根では、これもお父さま作の鉄骨部材を塗り直し、梁として使っています。
現代のライフスタイルに合わせて変更を加えながら、土地の記憶を未来へつなぐ——
日本の住宅建築の歴史を考えるとき、建物自体を残しながらのこのリレーは簡単ではないと思いつつも、これからもS邸を見守っていくに違いないお父さまの記憶と、形見の桜が満開となる春の日を思いました。
間近で見るS邸外観は、焼杉の黒と軒天・デッキの明るい木目のコントラストが目をひく。「外構はこれから。まずはチューリップや金木犀を植えたいですね」とSさん。鉄製のポストプレートはお父さまの記憶をとどめ、新たな住まいとともに時を刻み続ける
*温度の高い空気が上昇する性質を利用する換気方法。高い位置の窓を開けることで室内の暖かい空気が外に流れ出し、低い位置で開けた窓からは外部の冷たい空気を取り込める。温度差換気ともいう