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歴史と文化のとけあう港街 - 函館(その2)

 翌日の6月22日(日)は朝から小雨の降る空模様でしたが、せっかく「はるばる」やってきた函館なので、中心部から少し離れた場所にも朝から行ってみました。

 五稜郭はヨーロッパを起源とする陵堡式の城塞で、徳川家定の命により1886年に完成しました。幕末から明治維新にかけての、佐幕派と新政府軍との最後の戦いである、函館戦争の舞台となったことはあまりにも有名です。地上からではその美しい五角形の姿は見られませんが、展望タワーに上るとよくわかります。


 新撰組副長として幕末の京都で勤皇派に恐れられた土方歳三は、転戦の末、最後は函館戦争で壮烈な戦死をとげたことで知られていますが、その銅像が展望タワーの上にありました。


 函館空港の近くにある「トラピスチヌ修道院」は、1898年にフランスから派遣されてきた8人の修道女によって創設された、日本最初の観想女子修道院です。(観想修道院とは、修道院の中だけで、祈りと観想、労働を中心とした生活を行なう修道院のこと。)
修道女達は祈りと労働にささげる敬虔な生活をおくっているため、内部に入ることはできませんが、中庭までは見学することができます。


 見学者を入り口で迎えるのは、大天使ミカエルの像です。


 その先には、見る者全てを優しく包み込むような、「慈しみの聖母マリア像」があります。


 修道院は小高い丘の上に建っていますが、中庭に向かう階段の道はとてもきれいに整備されています。


 登りきったところが修道院の中庭で、ここから先には入ることはできません。とても静かで、こちらもなんだか敬虔な気持ちにさせられます。昔はこのあたりに住宅はなく、一面に鈴蘭の花が咲く丘だったとのことです。



 トラピスチヌ修道院の修道女達は、年に1回函館市の中心をはさんで反対側にあるトラピスト修道院(男子修道院)に、農作物の収穫を分けてもらいにいくので、その時にだけは外に出ることがあるそうです。

 再び市内の元町地区に戻り、昨夜見た「旧函館区公会堂」の中に入ってみることにしました。昼間見ると、水色の壁と黄色の縁取りがはっきりとわかり、とても豪華で鮮やかな感じです。



 この建物は内部が公開されていて、2階の大広間ではコンサートなどがしばしば開かれているとのことです。皇太子時代の大正天皇が函館を行啓された折にはここに宿泊されており、御座所の間は、摂政宮時代の昭和天皇や、平成元年には天皇・皇后両陛下もご休息に使われたとのことです。


 2階のバルコニーに出てみると、函館港に係留された青函連絡船「摩周丸」の姿まで、はるかに見通せます。


 「ハリストス正教会」へも昼間の姿を見に、もう一度行ってみました。白壁にグリーンの尖塔が映え美しい姿をしています。写真撮影は禁止ですが、内部の祭壇には偶像が禁止されている正教会ならではの、イコン(絵)が描かれていました。



 函館は幕末から明治維新にかけての激動の歴史を感じさせるだけでなく、長い鎖国から開国した日本に一気に入ってきた、西欧文化の香りが今もしっかりと残っている街です。


 さて、エコブログ読者の皆様、私は6月末を以って板硝子協会を離れることになりました。これまで折に触れ、エコガラスにかぎらず、色々な話題でこのエコブログに寄稿をしてきましたが、それも今回で最後になります。

2年余りにわたって私の拙い文章にお付き合いをいただき、有り難うございました。

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